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Posted on 17:32:26
堤康次郎
(刑務所に近づかないと商売の極意は得られない)
ピストル堤の本領
ピストルで撃たれたぐらいでひるんでいたら、とてもや大実業家にはなれない、太平洋戦争をはさんで、東急コンッェルンを築いた五島慶太とライバル視され、強引さでは五島には負けなく、あちらが強盗五島なら、こちらはピストル堤と呼ばれ、実弾(現金)を巻くことで知られたことから、あだ名がつきました。
商売と言うものは刑務所の前までは行くが、入らないのがコツであり、滋賀県のまづしい農家に生まれ、早稲田の学生になっても、勉強よりも金を稼ぐほうが得てであり、在学中に三等郵便局長になり、鉄工所の経営などに手を出していく、大きなビジネスは卒業後、軽井沢沓掛の土地買収から始まり、当時の金で3万円(現在では数億円)と言われ大金でありましたが、30歳にも満たない青年にそんな金が工面できず、半額は本物であったが後は、新聞紙を丸めての札束で相手を信用させたと言われています。
堤の土地買収は強盗のようで、関東大震災の後、太平洋世界大戦ではまさに火事場泥棒的買収でありました。
その後その土地に高輪、品川、赤坂など次々とプリンスホテルの建設を始めました、
生まれた子は何人か
康次郎は忙しい人で、1923年に伊豆箱根鉄道、1924年には武蔵野鉄道(現在の西部鉄道)になり、されに政界進出で1924年に滋賀県から衆議院に当選して、1953年には衆議院議長に就任する。
女性関係は忙しく、女中、社員、人妻、女優片っ端から手をつけ、愛人と知られるだけで4人、認知した子は12人になり、正確な数字は本人でもわからなかったようです。
西武百貨店を引き継いだのは堤清二で歌人の青山操との間の子で、次男であり、西武鉄道を継いだ堤義明は、未入籍の石塚三郎元衆議院の娘、恒子との間の三男であり、この義明が康次郎の言うことを良く聞いたことで、実質の後継者と言われました。
しかし2005年、有価証券報告書の虚偽記載が発覚して、義明は一切の公務から離脱して、西部王国もこれまでかと危惧されているのも事実であります。

まとめ
おおくの先輩諸氏が、苦労しながら出世して行くお話でありますが、ほとんどの方が、学歴が無く、体が弱く、人並みはずれた苦労をしていて、ご自分の考え方を持ちながら、時代背景に符合した、活躍をしております。
今の時代、物が満たされ、アメリカの策略かもわかりませんが、お話しすると自由と言われ、子供たちが自由と言う名の拘束がされていて、子供が子供を生む、たとえのように、昔は親が頼りなければ、お爺さんお婆さんが叱りました、近所の人までが関心を持ち、注意していました。
パソコンと言う遊び道具を持たされ、四畳半の世界に入り、ゲーム感覚で人生ゲームを行い、都合が悪くなると、リセットがあるのです。
人間が増えてきて、否が応でも地球環境が悪くなり、人間性もさることながら、地球環境が持たなくなりかけております、この時期に今一度先人たちの考え方や、生き様を見習いながら、後世にできるだけ健全なままの地球を残してまいりたいと考えます。
明光建商も、現在皆様のおかげで、幾つ物の新製品や、環境関連商品がもたらされております。
くいの残らない営業活動により、良い物を皆様にの精神でがんばってまいりたいと考えております。
営業マンの皆様には、是非参考までに、熟読していただきまして、営業活動の中で生かしていくようお願いいたします。
               平成20年8月28日        文責 塩谷昭文
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